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2023.12.25

久々のバンコク

12/2~10まで約4年振りの海外旅行をしてきました。
これほど長い期間海外に行かなかったのは初めてなので、
リハビリを兼ねて慣れ親しんだバンコクにしました。
偶然ですが、だいたい10年おきに行っております。
諸事情により、東京→ソウル→東京→バンコク、バンコク→東京→ソウル→東京というルートです。
東京バンコク往復便はたくさんあるので、詳しい人にしか理解できない行程です。

よって、バンコク滞在は5.5日でした。

さて、タイと言えばマンゴーです。
毎日のように何かしらマンゴー関係を食べておりました。

●下の写真はマンゴースイーツ専門店で食べたマンゴー尽くしのセットです。

マンゴースムージー(果肉入り)、生マンゴー、マンゴープリン、マンゴーアイス。手前中央に居るのはカオニャオ(もち米)です。
タイにはカオニャオ・マムアンというマンゴーともち米にココナッツミルクを掛けて食べるスイーツがあります。左上にあるのがココナッツミルクです。昔から屋台でよく食べてました。今はオシャレです。高いけど。

バンコクはバックパッカー時代を含め延べ1ヶ月近く滞在しているので、
あまり観光する意欲はありませんが、ナイトマーケットや近年インスタ映えで人気の寺院、 そして、30年ぶりにワットアルンとワットポーにも行ってきました。

昔は全て一律10円で乗れたエアコン無しバス(通称赤バス)で移動しておりましたが、今回はBTS(高架鉄道)とMRT(地下鉄)で移動しました。
地下鉄の自動改札はVISAとマスターのタッチ決済に対応しており、
列に並んで切符を買う手間が省けてとても便利でした。
いつの間にか日本より進んでいるという現実。。。

●下の写真はインスタ映え寺院として人気のワットパクナム。無料なのが嬉しい。
ちょっと外れた所にあり、地図も無く、現地SIMも買わないのでグーグルマップも使えず、地下鉄駅から路地を歩いて長年の感で辿り着きました。

●下の写真はワットアルン。暁の寺として有名。

●下の写真はワットポー。巨大涅槃仏とタイ式マッサージの総本山として有名。

10年振りに行った行列店のカオマンガイ(チキンライス)
ワンタンと豚肉入りバーミーヘン(汁なし麺)
エビ入りパッタイ(タイ風焼きそば)

2023.06.30

残り時間あと僅か、ラシットさんを探し出せ!

20年以上前、中国シルクロードを横断中、新疆ウイグル自治区の区都ウルムチに立ち寄りました。
郊外に天池と呼ばれるエメラルドグリーンの奇麗な湖があり、同じ部屋の日本人と韓国人の3人で向かうことにしました。
最も便利で安上がりな方法が、現地旅行社のフリーツアーを使うことでした。
マイクロバスの往復のみで、現地に3時間ほど滞在するというもの。
目的地は標高の高い山の中にあるので結構時間がかかる。

湖の周りには遊牧民であるカザフ族のゲル(テント)が点在しており、休憩や宿泊ができる。
韓国人は日帰りだが、我々日本人は1泊しようと思っている。
しかし、近年お金の亡者となった遊牧民による悪質なぼったくりが横行しているようで、
唯一ラシットさんという人は信用できるという情報を持っていた。
ラシットさんのゲルのだいたいの位置も情報にあったので、見つけることが出来たらそのまま宿泊し、
見つけられなかったら韓国人と一緒にバスに戻って帰るということにした。

やっと着いた天池は写真で見るより美しく素敵な景色であった。
しかし、すぐにガラの悪い客引きが群がってくる。
時間が無いので湖の右手奥に向かって歩き始める。
景色は素晴らしいが人間の雰囲気が最悪で、正直帰りたくなってきた。
バスに戻る時間を考えると、あと残された時間は30分。ラシットさんはどこだ!
湖の反対側右奥という情報が正しければ、この先に見える右カーブをしたところで見つけられなければ万事休す。

そして、岩肌のカーブを曲がるといくつかのゲルが見えた。
外にいた女性にラシットさんのゲルか確認すると、奥さんのドートラハーさんだった。
何とか間に合った。宿泊したい旨を伝えるとゲルに案内してくれた。
ラシットさんは外出中とのこと。
宿泊しないので遠慮していた韓国人にも当然のようにお茶を出してくれた。勿論、タダで。
時間になって韓国人は戻って行った。
彼とは昨夜屋台で夕食を一緒に食べたけど、辛い物が苦手な韓国人でした。

1人息子のタムーが我々の荷物に興味津々で中を見ようとする。
その都度お母さんに叱られ、我々にも息子を叩けと言ってくる。
そして、遂にドートラハーさんがタムーを叩き、大泣き。
すると、息子をギュッと抱きしめ、泣き止む。
これを体罰と言われたら悲しいですね。
確か5歳くらいだったと記憶しているけど、とてもいい子です。(彼の名誉のため記しておきます)

夜になり、ラシットさんが帰宅して家族全員と食事をした。
ぼったくりの現状をとても嘆いていた。
外は満天の星空で、地上の汚れと対照的であった。
今はどうなっているのだろう。。。

2023.02.02

親切な中国人たち

とかくネガティブなイメージを持たれる中国人ですが、
実際に中国を旅していた自分にとっては、多くの人に世話になったというのが実感である。

真夏のシルクロードをバスで横断中に滞在したトルファンでのこと。

2つの観光地へ行く路線バスの乗り場が不明の為、ホテルのフロントのお姉さんに聞くと、遠い方の目的地がバスの終点でお姉さんの家は1つ前なので、もうすぐ勤務が終わるので連れて行ってくれると言う。
最初に逆方向の観光地にも付き合ってくれ、次の目的地に行く前に家に招かれ、両親が栽培しているスイカやブドウを頂いた。中庭の真ん中に大きな木があり、その周りがぐるっとイスになっている。気温40度でも日陰は涼しい。
家の周りは水路になっていて奇麗な水が流れており、そこで手を洗う。
十分寛いで最終目的地へ。地元だけに観光地の入口で検札しているのはお姉さんの知り合い。当然のように顔パスで無料入場。
帰りのバスでお姉さんが降りるときに車掌に何やら言っている。どうやら自分が降りる場所に着いたら知らせるように頼んでいたようだ。

翌日は公共交通機関でアクセス不能な交河古城という遺跡に向かう。
タクシーの半日チャーター料金が当時は50元(750円)だったが、バックパッカーとしては完全にNGなので、片道10元で行くことにして、帰りは誰かのタクシーに便乗させてもらう作戦を取った。
しかし、変態的に暑い日中に行ってしまったので、観光客がほとんどいない!
遺跡観光を終え日陰で獲物が来るのを待っていると、遠くに3人組のおじさんが見えた。
自然な感じで近寄って行き、「ニーハオ!」と声を掛ける。そこから会話が始まり、相手が英語を話せないので筆談に切り替える。
自分が日本人と分かると、中年以上は大抵「山口百恵と三浦友和はどうしてる?」と聞かれる。知らんがな。。。
30分以上筆談を続けたので大丈夫だと思い、本題であるタクシー便乗をお願いすると、快くOKしてくれた。
街中に戻ってタクシーを降りると、そのまま夕飯に誘われた。勿論、彼らの奢りで。彼らの面子の為にも絶対にお金を出してはいけない。
たくさんの料理と度数の高い白酒で乾杯と食事を繰り返す。中国人は飲む量も食べる量も半端ない。 箸を置くと「どんどん食べて!」と言われ、食べると白酒が注がれ「乾杯!」の繰り返し。
お互い言葉がほとんど分からないのに何故かなんとなく会話が成立している。
宴が終わり外に出ると、まだまだ強い日差しが容赦なく降り注ぐ。

毎日俺を助けてくれて、ありがとう!

2022.08.31

信じるかどうか、それが問題だ。

海外を旅していると、人を信じるかどうか選択を迫られる場面が多々ある。
特にバックパッカーをしていると日常的なことである。

国内を含めて初めて一人旅をしたエジプト旅行でのことである。
カイロ市内からギザやサッカラのピラミッドに行くべくタクシーをチャーターした。
人の良さそうなおじさんと交渉すると、旅行者相場の最低料金でOKしてくれた。
追加料金を請求されることも、「通貨単位はエジプトポンドではなく米ドルだ」と言われることも無く、無事終了した。

ルクソールやアスワンを旅してカイロに戻り、再びピラミッドに行くことにした。
交渉した若いドライバーが私の名前を聞いて、「この前君を乗せたのは俺の親父かも」と言う。
呼ばれてやって来たおじさんは確かにこの前お世話になったアハメッドだった。
息子から親父にバトンタッチして2度目のドライブに出る。

それからというもの、普通は絶対にタクシーでなんか行かないスエズ運河やアレキサンドリアを日帰り旅行したのである。ガソリン代だけ出してくれればタダで良いというので。
流石に遠くて、朝早く出て夜遅く帰る強行軍である。楽ちんだけど。
夜の砂漠道を月に向かって「ホッホホーイ!」と叫びながら爆走する。
他の車をほとんど見かけないので、故障したらどうするんだろ。。。

そして、最後にドライブした明後日が帰国の日だった。
アハメッドが空港までタダで送ってくれるという。
でも、ホテルを夜明け前の午前5時に出なくてはいけないので、大丈夫だろうか?

帰国日前夜。
フロントで早朝にチェックアウトすることを伝えると、タクシー手配するねと言われる。
事情を話すと、「来ないよ」とアッサリ断言される。
確かに、約束の時間に来るのは世界的にはレアなことである。しかも、夜明け前。。
結局、もし来なかったら直ぐタクシー呼ぶからと言ってくれた。
飛行機に乗り遅れるわけにはいかないので、だんだん不安になる。

そして、帰国当日。
チェックアウトして、フロントに「いなかったら直ぐに戻ってきな」と言われ外に出る。
自分も、いなければ諦めてすぐ戻る気になっていた。
ホテルの玄関から車の走る通りまで歩く。
すると、人気のない暗い通りの向こうに1台のタクシーが見えた。
近づいていくとアハメッドだった。
ホッとして乗り込むと、彼の目が赤い。
どうしたのかと聞くと、「寝坊したら大変だから、昨晩からここにいた」と言う。
その言葉を聞いた瞬間、僅かでも疑ったことが申し訳なく、自分を恥じた。

人を信じるには勇気が要る。
その後の旅で幾度となく直面する課題のスタートだったかもしれない。
同時に、帰国前夜にお別れ会を開いてくれた同世代のエジプト人の仲間たちも含めて、
一人旅にとりつかれた原点の旅であった。

2022.03.28

お肉あれこれ

旅先で日本ではなかなかお目にかかれない珍しい肉があると思わず食べてしまいます。
今まで食べた肉を振り返ります。

・カエル(中国)
・ヘビ(中国)
・アルパカ(ペルー)
・クイ(ペルー)※家畜用ネズミ
・カピバラ(コロンビア)
・ウサギ(エルサルバドル)
・ワニ(オーストラリア、ジンバブエ)
・カンガルー(オーストラリア)
・ダチョウ(ナミビア)
・オリックス(ナミビア)

他にも色々食べたはずなのですが、思い出せません。。。
そう言えば、
昔、旅先でお世話になった中国人がパンダを食べたことがあると言ってました。

2021.10.26

昆虫大襲来

皆さんは昆虫の大襲来を体験したことはありますか?

インドの聖地バラナシに滞在中、ある日を境に昆虫軍団が押し寄せるようになりました。バラナシはガンジス川を挟んで人々が暮らす生の地と誰も住まない死の地に分かれます。よって、夜になると明かりを目指してこちら側に飛来するのです。私が泊っていた安宿はガンジス川沿いなので、攻撃をもろに受ける場所でした。

第1陣はタガメでした。野生のタガメを初めて見ました。しかも大群。タガメを知らない人が自分の背中に引っ付いたタガメに絶叫してました。

そのうち小さな虫がウジャウジャ飛んでいるようで、仲間たちとしゃべっていると口の中にどんどん入ってくる。たまらず部屋に退散。

しばらくして窓を見ると、外が見えない。網戸が何かで埋め尽くされている。バッタだ!10個くらいのベッドが横一列に並ぶドミトリーの窓全てがバッタ窓になっていた。翌朝、外は大量のバッタの死骸が。

次はどこから湧いて出てきたのか、部屋の中にコオロギが大発生!寝ているとコオロギやバッタが頭に特攻してくる。寝られん!と思ったが、1日で慣れた。個室で虫たちがパイプなどに詰まって部屋替えを余儀なくされる旅行者もいたが、現場を見た感想は。。。。

ドミトリーのドアは普段開けっ放しなのだが、夕方前に閉めるのがルールとなった。しかし、それを知らない新人が入るとドアが。。タガメまで入れちゃって!

虫かごの中で生活しているような日々でした。おしまい。

2021.06.01

山賊

皆さんは山賊を警戒しながら移動したことはありますか?

昔はラオスの首都ビエンチャンから古都ルアンパバーンへのバス移動で山賊が度々出没しており、外国人旅行者を含む多くの人が犠牲になっておりました。
2002年当時、しばらく鳴りを潜めていたので、推奨されている飛行機ではなくバス移動を選択しました。
朝出発したトラックバス(トラックを改造したバス)は順調に走り昼食休憩となりました。
ここまでは安全地帯で、問題はこれから始まる山道です。長閑すぎて山賊なんて都市伝説かと思うほどです。
さて、昼ご飯を食べてバスに乗り込むと、出発直前に拳銃を持った私服警官らしき人が乗り込んできました。どうやら護衛のようです。都市伝説ではないようです。
バスは山道に入りました。馬力の無いトラックバスは断崖絶壁の登り坂を悲鳴を上げながらヨロヨロ進みます。走った方が早いです。これは山賊が出たら逃げ切れません。すれ違う人間が全て山賊に見える。
こういう道はバスやトラックが崖下に転落しているのをよく見かけ、特に夜の移動は命懸けですが、これだけノロノロ走って逆に怖いというのは初めてです。普通は自分のバスがチキンレースをしないことを祈るので。。。
遂に危険地帯を抜けた時はホッとしました。やはり、山賊はもう過去のことなのか。
そして、自分が乗ったちょうど1年後、山賊が再び活動を開始。多くの人が殺されました。
人の世は運不運ですね。皆さんも山賊には気を付けてください。

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